TNAによる上州富岡駅の写真とレビュー「後先を孕む建築」

世界遺産への登録が正式に認められた富岡製糸場。その玄関口となるべく建替えられた上州富岡駅(設計:TNA)の写真とレビューを掲載します。

古くから養蚕業の盛んな地域であった群馬県富岡市に、明治5年当時世界最大規模の器械製糸工場「富岡製糸場」が明治政府によって建設された。それはイギリスで始まった産業革命が非西欧諸国で本格的に導入された最初期の事例であり、現在この富岡製糸場の世界遺産登録にむけた審議が進められている。それに先立ち、富岡製糸場を中心とした市域の整備が検討され、町の玄関口である上州富岡駅について県と市、鉄道会社によって建替えることが決定された。そして震災からわずか1月後の2011年4月に、震災後初めて実施される公共コンペとして上州富岡駅舎設計提案競技が実施され、359件の応募案が集まった。最終的に武井誠+鍋島千恵(TNA)の提案が選ばれ、2014年3月に完成を迎えた。



TNAによる新しい駅舎は、富岡製糸場をイメージさせる煉瓦積みの構築物と、駅全体を覆う高さ6,4mの大きな白いフラットルーフ、それらをつなぐ鉄骨柱によって構成されている。東側から電鉄の事務室関係諸室、待合所、改札があり、さらにインフォメーションスペース、交流スペース、公衆トイレ、駐輪場が線路に沿って一列に並んでいる。外気と遮断する必要のあるエリア(駅員室、待合所、改札、そしてインフォメーションセンター)は、街の玄関口というスケールを確保する大きな上屋根と別に、個別に下屋根がかかり、開放的な引き戸で仕切られることで従来通りのコンパクトな駅の運営が維持されている。駅舎中央部分、屋外の交流スペースは、腰掛けるのにほどよい高さでレンガの塊が配置されており、電車の待ち合せや、観光を前に準備を整えるなどの人々の行為を受け止めている。


地面とそこから建ち上がる煉瓦の構築物はこの建築でもっとも印象的な要素であるが、それは駅という役割とは関係なくこの場所にずっとあったかのような存在感をもっているからだと思われる。そのことが、常に建築よりも先に存在している地形のようにゆるやかに建築と人々の振る舞いを規程することに繋がり、人と建築の距離を縮めているのではないだろうか。実際の順序としては、駅としての建築が構想され、そこに富岡らしさの要素(煉瓦の構築物)がインストールされるわけだが、その関係が認識上逆転するために試みられた様々なデザイン的な配慮が感じられる。


たとえば、煉瓦の壁に付属するように取付けられた小規模な屋根や可動式の間仕切りにみられるような従属的なディテール。駅事務室の南側の窓なども、たまたまあった煉瓦のくぼみを利用して取付けたように収められており、煉瓦の構築物に従属的な存在になっている。事後的に駅に必要な空間の要素が付加されたということが明示的に示されることで、煉瓦の構築物とその他の要素に時間的な「後先」がうまれている。また、煉瓦壁のデコボコとした表現も構造的な理由を別にすれば必然的なものではないが、どことなくもともとあった煉瓦壁の一部が欠落してしまったような減築的な表現ととらえることができ、そこに行為としての「後先」がほのめかされる。そして、安全性や性能を重視する公共建築でこのような一見ラフな仕上がりを実現する事の困難さは想像に難くないわけだが、できるだけただ煉瓦を積んだだけという即物的なディテールが、場所における意味作用のズレ、つまりそこがなんであるかを一瞬宙づりにするような瞬間をつくりだしている。それは一瞬の認識上の後先かもしれないが、駅という機能的で慣習的な意味から開放された空間、訪れた人々が能動的に意味を生み出すような空間がたち現れる契機が用意されている。



これらの「後先」の感覚、時間が種々のディテールによって空間の中に折り畳まれていることで、煉瓦の構築物に駅という機能的存在にたいしての先行性が発生している。これを街スケールでみてみると、富岡製糸場で用いられている木骨煉瓦積造という構造形式が、駅舎に採用された鉄骨煉瓦積造というハイブリットな構造形式に先立つものとして位置づけられ、また今後行なわれる駅周辺の整備にあたっては、駅が富岡の街に先行するコンテクストとして作用するという状況が生み出されていると見なすこともできる。そうすると、この駅と街の構成においての時間的な連続性を取り結ぶ蝶番として、この煉瓦の構築物を位置づける事ができるのではないだろうか。
一方で、建築家が駅舎建設にかかわる関係者・部署と協同するプラットフォームを積極的につくりだすことで、建築と街の空間的な構成を連続的に扱うための試みがなされている。計画の早い段階から市のまちづくり課、道路課、県の土木事務所、建設会社などの事業にかかわる複数の主体とともに駅周辺の整備に関するデザイン検討会議が開かれ、建築家が言うところの「都市の肌理」を整えるための下地作りが行なわれてきた。その結果、建築家にとって前提条件とでもいうべき敷地境界を越えて、敷地周辺の道路や、電柱、照明などの一体的な整備が可能になっている。建築が街のコンテクストを可視化し、それが起点となって街の肌理が整えられていく。そしてそれが建築デザインの領域の拡大だけではなく、デザインの密度を上げていくことに繋がっていることにも注目すべきではないだろうか。


ここ富岡では、コンペを主導した県の関係者に理解者がいたこと、そして世界遺産登録という共有可能なヴィジョンが存在していたという特殊事情の存在も考えられるが、建築家の呼びかけによって総合的なデザイン検討がなされる場が部署をこえてつくられたなどの公共建築というプロジェクトをうまくまわしていく経験と技術の共有が今後必要とされると思われる。富岡では、独立した立場の建築家が責任を背負う主体としてかかわることが、硬直した組織の中で新しいことにチャレンジする上で必要となったようであるが、そのリスクを掛金として建築家の公共的な役割とは問いなおされるのかもしれない。

駅名表示も通常よりも低い位置に取付けられている

posted by Shinichi Kawakatsu